海見えて

海見えて ぼくの形に 枯ひまわり  ・・・えぞを 
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限りなき思い出

お願いしていたとおり 簡易ベッドが用意されていました。

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台所も付いています。 お湯の蛇口からは飲泉可の温泉が出ます。

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勿論冷蔵庫もあり、縁側にはこれを書くのにちょうど良い
テーブルと椅子もあります。

えぞをとの思い出の場所 「道の駅」へ

過ぎた日が否応なしに遠音を飲み込みます。
もう一度二人で来たい場所だったね~えぞをさん!

道の駅

この温泉水でご飯を炊くとふっくらたけるのです。

温泉水1温泉水2

何十日も過ごしたこの場所・・時間が溶けて無くなります。

DSC04034.jpg道の駅2

寒くて 持参の服を重ねて着ています。
何でも台風が過ぎ去った後、急に温度が下がったとか。

窓越しに川が見えます。 彼岸花!押し花にしたい!
今回は思い出巡りと考えて押す道具持参していません。

彼岸花

いまは川の流れる音だけですが今夜も
カエルのオーケストラがあるのかな~

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鹿児島へ

タンチョウ空港にて。「行ってくるからね」
丹頂空港

1)全ての便が定時発着だった。それと娘からのアドバイス通り
ぴたっとするイヤホーンをつけ音楽を聞くことにより
下降時のあの耳と頭の痛さは免れた。

2) 昨日スマイルサポートというのが有ると聞いて
お願いした。 荷物を運び席まで案内、棚に荷を上げてくれる。
乗り継ぎも難無く済む。
おかげで瓶に詰めた梅干しも無事着いた。
鹿児島ではリムジンバスまでも案内してもらう。
これからは やせがえる・・にならず、お願いする方が良い。

羽田で お弁当を買った。 これなら前にも食べたから。
が、、ゴムのような「いかご飯・・」どう考えてもまずい。
森町の名誉のために・・その地で食す名物は裏切らない。
しかるに 羽田空港で売られると・・こうなるんだね。

いかめし

鹿児島へ 鹿児島は20度 霧雨が降っていますと案内が入る。

鹿児島

夕食はさすがに作るのは無理とお隣の定食屋さん「薩摩路」へ。
鮎定食が¥1200・・美味しかった。
薩摩路1
薩摩路2
ご飯はおなかに入らず・・ラップに包んでいただいた。

さて・さて・・wifiは?
めでたし~めでたし 

外気温20度を切っている。 女将さんがコーヒーと
パンを朝食にと持ってきて下さる。
また明日丁寧に写真を撮って報告しよう。
今夜はこれで。 おやすみなさい。

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wifi ルーター

台風18号が去り 陽が射してきた。
さっきの風雨は何と問いたい。

さてフライトも順調に快復したようなので 
これから旅荷の用意をしましょう。

ブログの更新を続けたい・・その一念でこれを用意
wifiルーター
DSC04014.jpg

息子の言うには山間はどうかなぁ~ と言う事で
せっかく買い求めたのにね。
でも押し花教室で大活躍です。通信教育も出来そうです。

利用料金は 5ギガで ・¥1430円 
どの位使用するかが不明なので 足りなくなったら
1ギガづつ買うこと出来るよと言われています。

思いついて決断したのは・・遠音
ネット購入・契約などは・・息子

自分の更新だけになると思います。
私のずっこけ旅を楽しんで頂くこととして・・
訪問できても足跡 残せない。など考えられます。
みな様 どうぞお元気でお過ごし下さいませ。

蝶

荷造りの服に戸惑っています。
こちらでは 日中の服装はこんな感じで
朝晩は これに厚手のカーデ もしくは羽毛キルトのベストを
着ています。裸足は無理になりました。

旅先の天気予報では 30度前後・・いきなり熱中症ですか。
どうしよぅ・・・

服装

それにしても 遠音の部屋 きたないね~
ここ数日外回りが気になって お掃除してないわ
まぁいいか。。 

追伸
次回からコメント閉じますね。Wifi環境が不明です。

「拍手コメ」くっつけました。 
             したっけネ~

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昭和20年・冬

今朝 寝ぼけまなこでカーテンを開いている時刻
政府からの 災害避難情報が携帯電話に入って来た。

北朝鮮より弾道ミサイルが発射された。北海道の襟裳岬を
通過した。TVは釧路からも放送されていた。


昭和20年 冬  遠音7才
一軒の家での役目
父は 職場を警護するため家には殆ど帰って来なかった。

警戒警報が発令されると 、母は素早く灯りを布で被い
カーテンを閉じた。

ついで 私の肩へ救急袋をたすきがけにし
生後数ヶ月の妹を背中にくくりつけた。

1才数ヶ月の妹の手を引き防空壕へ行くように指示した。
3才の弟は 一番早く防空壕に到着したろう。

母は家を代表して町内警防のため外にいた。母26才。

7才の私の姿を見かねてか・・
私の家では防空壕へ入らなくても良い事になった。
幼い4人は 押し入れに入っていても良い事になった。

その冬 麻疹に罹り肺炎を起こした。 
あろうことかハッシンチフスの疑いで炭鉱病院に隔離された。

すでに医療機器は底をつき 遠くで「アイゴーアイゴー」と
泣き叫ぶ男性の声を聞いた。炭鉱での事故で
治療を受けているのだろう・・麻酔などなかった。

そこで 拷問にも等しいリンゲルを(点滴ではない)
静注された。 みるみる倍に膨れる腿を 熱いタオルで
蒸しながらもみほぐしていく・・
激痛に泣き叫ぶ意外に何が出来たろうか。

辛くも命を取り止めたのは両親の看病のおかげだったろう。

夏 いよいよ不穏な状況を大人たちから感じていた。
道の両脇には 側溝が掘られていて
敵機が来たら 両手の人差し指・中指・薬指で目を被い
小指で鼻を被い 親指を耳の穴に入れ、側溝にうつむき姿勢で
寝るように指示されていた。

国民学校は 朝校庭に並び点呼を取り 解散と言われて
家に帰される。その繰り返しだった。

或る日 敵機来襲と警報が発令された。
爆音がする。 背に妹がいて もう一人の妹の手を引く
私に 側溝へ俯せなどの決まりは遠く・・ひたすら防空壕へ走っていた。

背中が焦げるように熱い。その感覚はいまでも再現できる!
私は「オーオー」と獣のように叫んでいた。 
泣いていたのでは無い。人は極限では獣になる。

二度の原爆も 東京大空襲も知ったのはずーっと後のことだった。
どれだけの子どもが「オーオー」と叫んだろう 

敗戦の玉音放送を 町内の人と共に聴いたのは
その頃裕福な祖父母から(樺太在住)送られたラジオが
家にあったから。

母 「もう防空壕へ逃げなくても良いよ」と言った。
私 「もう殺されない」  たった一つ7才の子どもが思ったことだった。

誰を殺しても 誰が殺されてもいけない。
それが平和だと 五感で感じ取った 国民学校2年生の私だった。

花壇を縮小した。 中からこんなスプーンが出て来た。
孫が幼いころ 此処はお砂場だった。
ふいに砂場と スプーンを持って遊ぶ Rちゃんが浮かんでくる。

おままごと

いとほしく 何故か胸の中心がキュンとなる。
これから生きる孫と孫の子たちに 平和を残したいと・・


コメントの残しづらい更新になりました。
どうぞそのままお通り下さいませ。

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検査結果

半年に一度の血液検査。
総合病院と違い 難しい検査は外注になる。
従って一週間前に採血 今日診察日だった。

この一ヶ月間 何とも名状し難い倦怠感にさいなまれていた。
その理由がわかる検査結果だった。

Dr は この分野は専門性が高く 自分には良く分からないと
非力を認めて謝った。いままでのDrは ごまかして敬遠する。

自分の主治医は、良心的な先生だと思っている。

やはり 札幌か虎の門病院へ問い合わせねばならない。
しかし いまではない。(いまは困る)

台風18号が来ている。 不安だけれど宅急便を出す。
液体やスプレー状のものが入っていると空輸が出来ないと
言う事で 陸路と船便で 8日間くらいかかるという。
荷物より先に私が到着するかも知れない。

気温を見ると 鹿児島は30度前後 夜半も25度前後ある。

私はさんざん此処は異国と書いて来たはずなのに・・
うっかり、まだ高温期 しかも台風の一番多い月を
旅先に 選んだらしい。

先頃 息子と何気なく話した。
遠音「 よその人は 80才近くの老人を一人旅に出すなんて
   という人がいるかもしれない。でもお母さん元気だからね」
息子 「うん」
遠音 「それにね 客死しても良いって思っているの・・」
    「むしろその方が 何かと良いかもと思っているの」
息子、うなずき
    「ぼくも 自分で客死しても良いと思っているんだ」

二人は同じ考えだったんだー したっけ遠音もアスリート


道端で いま一番美しい花 セイヨウノコギリソウ。
まれに薄ピンクに咲くが 殆ど白

セイヨウノコギリソウ