われ 86才の・・夢は・・
小学生への おきまりの課題作文がある。
「将来何になりたい」かを書きなさい。
多くの子どもが極めて現実可能な職業を書く。
わたし達の時代には、そんな作文課題はなかった。
気がつけば・・戦争の中に居た。
戦後 多くの子どもは 命を脅かす病魔にかかり、
それを治療する薬さえ無かった。
貧困と飢餓・・襲いかかるそれらの中で 明日を夢見る
希望を語る言葉さえ 見つけられなかった。
ひたすら 「今日を生きる」 それだけだった。
そんな中で わたしは 将来の夢を持っていた。
奇跡のような夢を見る事が出来たのは・・活字を読んでいたから。
子どもの本は限られていたから・・字さえ見れば読んでいた。
「これ何という字?」 両親への質問はそれに尽きていた。
後に夫と出会い聞いた・・7才違いであったにもかかわらず
「字さえ見れば 何かを読んでいた」と・・
1938年 3月 樺太、樫保 於いて 遠音8ヶ月
幼いときから持ち続けた 夢とは「外国航路の船長さん」だった。
この荒唐無稽な夢は 今日も私のキャパの中に、揺るぎなく座している。
1940年3月・・起源 二千六百年を記念して 遠音2才4ヶ月
見つけました!
2017年に日本郵船132年の歴史の中で、女性として初めての船長となる
でも幼い頃からの夢は・・外国航路を巡る 豪華客船の船長さん
そして・・
あろうことか客船に乗船している人々の物語を紡いでいた。
昭和37年 4月11日 函館空港にて。
新婚旅行で乗った 初飛行機は 函館からー丘珠空港だった。
こんな写真は いまなら 絶対撮れない。
そして このたびのスタートから数十年経ち
「桜追いかけ旅」 「ミュージアムを訪ねる」 「湧水巡り」など
多彩な旅へと続いた。
いま・・ 「 暮らす様に旅をする」を どうするかの岐路に立ち。
外国航路の船長さんになりたい。。きょう86才の わたしは
何処へ行こうとしているのだろう・・・